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自由意志の消失点 ──ツムちゃん氏はいつ「被害者」になったのか──

2024/8/3


序論:完璧な被害者

NHK教育番組『ざわざわ森のがんこちゃん』のエピソード『ツムちゃんのいいたかったこと』は、自己主張の困難さをテーマとした道徳教材として知られている。

従来の解釈はこうだ。気弱なツムちゃん氏は、くしゃみ草という危険な植物の被害者となり、本意ではない暴言を吐いてしまった。しかし仲間たちの理解と、ガメさんの助けによって救出され、最後には適切な自己主張の方法を学んだ──めでたし、めでたし。

私はこの解釈に異議を唱えねばならない。

本稿は、テキストの精緻な読解と、ツムちゃん氏の身体的特徴への注目を通じて、いわゆる「くしゃみ草事件」が計画的な復讐劇であった可能性を提示するものである。

そして何より、本稿はツムちゃん氏を弾劾するものではない。むしろ、その戦略的知性を称揚するものである。

https://edu.web.nhk/school/watch/bangumi/?das_id=D0005130185_00000


第一章:抑圧の記録

まず、ツムちゃん氏が置かれていた状況を確認しよう。

鉛筆事件。 バンバン氏は授業中、ツムちゃん氏に鉛筆を借りる。「え? え…、いいわよ…」と渋々応じるツムちゃん氏。案の定、バンバン氏は鉛筆をかじり、「あぁっ、やっぱりわたしのえんぴつ、かじってる…」とショックを受ける。

タルト事件。 給食のデザート、クレマカカリアのタルト。ツムちゃん氏が「だいじにたべようっと」と楽しみにしていたところ、がんこちゃん氏が「ひと口だけ手つだってあげるよ」と申し出る。「え? う、うん…」と何も言えないツムちゃん氏。がんこちゃん氏の「ひと口」の後、タルトは「ほんのすこし」しか残らなかった。

読者諸賢、ここで注目すべきは、これらが反復する抑圧であるという点だ。

「やっぱり」かじっている。「ひと口だけ」という常習的な言い回し。ツムちゃん氏は、日常的に、継続的に、その意思を踏みにじられてきたのである。

翌日、かじられた鉛筆を見てため息をつくツムちゃん氏の姿が記録されている。この蓄積された怒りが、やがてどのような形で噴出するか。我々は注意深く見守る必要がある。


第二章:武器の獲得

泣いているツムちゃん氏のもとに、ガメさんが現れる。

事情を聞いたガメさんは、「くしゃみ草」なる植物をツムちゃん氏の首につけた。「この花のにおいをかぐとね、むねのつかえがとれて、いえなかったことがいえるようになるのよ」

ガメさんがはさみを取りに行っている間、ラッパー氏がガメさんのキュッキュッキュウリを勝手に食べ始める。ツムちゃん氏は花の匂いを嗅ぎ、くしゃみをして言った。

「それはガメさんがきゅうしょくにするキュッキュッキュウリなの。かってにたべないで!」

ラッパー氏は去り、ツムちゃん氏は「いえた、いえたわ!」と喜ぶ。

戻ってきたガメさんに報告すると、ガメさんは「よかったわねえ。じゃあ、今日はもうはずしておきましょうか」と言い、決定的な情報を付け加えた。

「この花はね、あんまりなんどもにおいをかぐとね、おもってもいないことまで口にしちゃうことがあるのよ」

読者諸賢、この警告の意味するところを理解されるだろうか。

ガメさんは、ツムちゃん氏に完璧なアリバイの設計図を渡したのである。

「思ってもいないことを言ってしまう」──この副作用の存在を知っていれば、どのような暴言を吐いても「花のせい」にできる。ツムちゃん氏がこの可能性に気づかなかったと考えるのは、氏の知性を過小評価している。

「もうちょっとだけつけてちゃだめ?」

ガメさんが花を外そうとしたとき、ツムちゃん氏はこう懇願した。従来の解釈は、これを「自己主張への渇望」と読む。しかし、別の読みも可能ではないか。

氏はたった今、二つの重要な情報を得たのだ。

一つ、花は確かに機能する(ラッパー氏で実証済み)。

二つ、何を言っても「思ってもいないこと」として免責されうる。

作戦の条件が、すべて整ったのである。


第三章:決行

翌日、授業中にバンバン氏がまた鉛筆を借りに来る。

ツムちゃん氏は花の匂いを嗅ぎ、言った。

「バンバンにかすのはいや! いつもえんぴつかじるからどれもこれもボロボロよ。どうしてくれるのよ!」

続いて給食の時間、がんこちゃん氏が「ひと口たべてあげようか?」と近づく。

「だれがコロッケきらいっていったのよ! だいたいひと口ひと口って、がんこちゃんのひと口は大きすぎるの! このガブリンチョ!

さらにツムちゃん氏は、ケロちゃん氏、ピロくん、チョビくん、ギャオくんにも次々と暴言を浴びせる。

「ケロちゃんとゴムとびなんかぜったいいや! じぶんばっかりとんでぜんぜんかわってくれないくせに!」

「ピロくんとしりとりやってもぜんぜんつづかないでしょ!」

「チョビくんのおたからじまんはもううんざり!」

「ギャオくん、トイレは一人でいけるでしょ!」

読者諸賢、ここで私は決定的な問いを提起したい。

これらの発言は、本当に「思ってもいないこと」だったのか?

第一章で確認したように、バンバン氏とがんこちゃん氏への不満は明確に蓄積されていた。ケロちゃん氏以下への発言も、具体的かつ的確である。

「自分ばかり飛んで代わってくれない」「しりとりが続かない」「お宝自慢にうんざり」──これらは抽象的な罵倒ではなく、日常の観察に基づいた批判なのだ。

「思ってもいないこと」が、なぜこれほど具体的でありうるのか。

答えは明白である。ツムちゃん氏は、思っていたことを言ったのだ。


第四章:腕なき者の特権

ここで、本稿の核心に入る。

ツムちゃん氏には腕がない

この身体的特徴が、「くしゃみ草事件」の解明を決定的に困難にしている。

通常、くしゃみ草は首から下げられており、意図的に匂いを嗅ぐことで効果を発揮する。そして「あんまりなんどもにおいをかぐと」副作用が生じる。つまり、嗅ぐ回数は使用者の意志によって制御されるはずなのだ。

しかし、ツムちゃん氏には腕がない。

花を鼻に近づけることも、鼻から遠ざけることも、自らの意志では困難である。風が吹けば花は揺れ、歩けば花は跳ね、意図せず匂いを嗅いでしまうかもしれない。

あるいは、意図的に匂いを嗅いだとしても、それを証明する手段がない

腕があれば、「花を手に取って嗅いだ」という動作が目撃されうる。しかし腕がなければ、花が鼻先に来たのが偶然か故意かを区別することは不可能である。

さらに重要な点がある。

ツムちゃん氏が「花に巻きつかれて外せなくなった」状態が確認されるのは、仲間たちへの暴言をすべて吐き終えた後、一人で畑にいる場面においてである。

「ぜんぶこのお花のせいだわ」と泣きながら花を取ろうとするが取れない、とツムちゃん氏は主張する。

しかし、いつから花は巻きついていたのか?

実際、畑の場面では明らかに花はツムちゃん氏に巻きついているように見えるが、学校の場面ではツムちゃん氏は首から上だけが常に映され、花の描写は全く隠蔽されている

これは単なる演出上の偶然だろうか。あるいは、制作者たちもまた、この問いに対する答えを意図的に曖昧にしたのではないか。

腕がないツムちゃん氏には、「外そうとしたが外れなかった」ことを示す手段がない。仮に4人への暴言の時点ではまだ外せる状態だったとしても、それを否定する証拠もまた存在しないのである。

ツムちゃん氏は、自らの身体的特徴によって、立証不可能性という完璧な防壁を獲得していた。


第五章:被害者への変身

畑で泣いているツムちゃん氏を、仲間たちが発見する。

「ひ~ん。おねがい、だれかこのお花はずして」

がんこちゃん氏が引っ張るが、花は絡まっていて取れない。そこへガメさんが現れ、はさみで「チョッキン!」と切る。

「よかった…」

ツムちゃん氏は気絶した

読者諸賢、この気絶の意味を考えていただきたい。

気絶とは、対話の拒否である。仲間たちはツムちゃん氏に質問することができない。「本当に思っていないことだったの?」「なぜあんなに具体的だったの?」──そうした追及は、気絶した相手には不可能だ。

目覚めたとき、ツムちゃん氏を取り囲んでいたのは罪悪感を抱いた仲間たちであった。

「じゃあさ、さっきのはみんな、あの花のせいなわけ?」

「ほんとにびっくりしたわよ!」

仲間たちは「花のせい」という説明をすでに受け入れている。ツムちゃん氏は「ごめんなさい…」と謝るだけでよい。

かくして、ツムちゃん氏は加害者から被害者へと完璧に変身した

抑圧者たちへの復讐は完遂され、しかもその責任はすべて「花のせい」として処理された。仲間たちは罪悪感を抱き、ガメさんは「あたしがいけないのよ」と自らを責める。

誰もツムちゃん氏を責めない。

これを完全犯罪と呼ばずして、何と呼ぶべきだろうか。


第六章:そして何も変わらない

物語は「教訓」で締めくくられる。

チョビくんが提案する。「ツムちゃんは、バンバンにえんぴつかしたくないんだよね。それをちゃんとつたえればいいんじゃないの?」

翌日、バンバン氏がまた鉛筆を借りに来る。ツムちゃん氏は深呼吸して言う。

「えんぴつ、かしてもいいわよ。でも、かじらないでね」

「へ? ああ、ごめんごめん。かじんない、かじんない」

仲間たちは「ツムちゃん、やったね!」と祝福する。

しかし、物語のラストシーンを読者諸賢は見逃してはならない。

「はーい」とこたえたバンバン、「えーと、カジカジ、カジカジ…」。またまたえんぴつをかじったので…。

何も変わっていないのである。

ツムちゃん氏の「適切な自己主張」は、バンバン氏の行動を1ミリも変えなかった。鉛筆はまたかじられ、明日もまたかじられるだろう。

従来の道徳教育は、「気持ちを伝えれば分かり合える」という幻想を子どもたちに植え付ける。しかし本作は、その幻想をラストシーンで粉砕している

だとすれば、ツムちゃん氏の「くしゃみ草事件」における戦略は、むしろ合理的だったと言えないだろうか。

「適切な自己主張」では何も変わらない。ならば、言いたいことをすべて言い放ち、その責任を外部に転嫁する──これこそが、抑圧された者の現実的な生存戦略なのではないか。


結論:讃歌

本稿の分析をまとめよう。

ツムちゃん氏は、日常的な抑圧に耐えかね、ガメさんから「くしゃみ草」という武器を獲得した。氏はその副作用──「思ってもいないことを言ってしまう」──をアリバイとして利用する計画を立てた。

まずラッパー氏で武器の性能を確認し、次いでバンバン氏、がんこちゃん氏、その他の仲間たちへの復讐を決行した。すべての暴言を吐き終えた後、氏は「花が外れない被害者」として振る舞い、気絶することで追及を回避した。

目覚めたとき、罪はすべて花に転嫁され、氏は完璧な被害者として仲間たちの同情を集めていた。

そして何より、この計画は立証不可能である。ツムちゃん氏には腕がなく、花を意図的に嗅いだかどうか、いつから外れなくなったのかを証明する手段が存在しない。

私はツムちゃん氏を弾劾しない。

むしろ、称賛する

抑圧された環境において、与えられた条件を最大限に活用し、復讐を完遂しながら一切の責任を回避する──これほど見事な戦略的知性を、道徳教材の登場人物に見出せるとは。

「自由意志の消失点」は、ツムちゃん氏自身にすら特定できないだろう。

そして、それこそが、この完全犯罪の完全たるゆえんなのである。